
「ここに美酒あり 名づけて小鼓といふ」。かの俳人・高浜虚子が歌に詠んだ銘酒が丹波にあります。「小鼓」を醸造する西山酒造場の創業は1849年まで遡り、母屋を含む建築群3点が国の登録有形文化財に指定されているほど歴史のある酒蔵です。そんな伝統産業を今に受け継ぐ西山酒造場さんですが、時代の変化と共に新しい革新を続ける挑戦的な会社でもあります。今回は、社長の想いや今後のビジョン、ものづくりにかける考えをうかがってきました。
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・手作りの良いところを大事に残しながら、新しい戦略と挑戦を続ける酒蔵。
・イキイキと明るく働ける環境づくりは、社長の仕事。前向きなものづくりを。
・スタッフの約70%が女性。「女性の繊細な感覚をものづくりに取り入れたかった」
と語る社長。酒造りを仕事にしたい、という女性は必見です!
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西山酒造場の商品や店内のいたるところに見られるデザインは、無汸庵綿貫宏介氏のもの。現社長の先代からラベル他、デザイン全般を氏に依頼し、ブランドイメージを統一されています。
古くからある伝統の良さを引き継いで、変わるべきところを新しく、挑戦していく。
6代目蔵元、西山周三社長にインタビューしてきました。
西山酒造場さんといえば、やはり綿貫宏介先生デザインの、お洒落なラベルに目を惹かれます。これは、社長がこういったデザインに方向転換されたんでしょうか?
そうですね、代としてはおじいちゃんの時から知ってて、親父ががっと力を入れてきたので、もう長いですよ、僕が戻ってきた時にはもう親父と付き合いがあったんで、50年まではいかないですが、40数年くらい前からお付き合いはあります。
なるほど、デザイン全般を綿貫先生に依頼されているんですね。
実は名前も、ほとんどが100%綿貫先生なんですよ。だから、イメージとしてはこういう製品を作るんですというのを僕とかが言って、イメージで、これはこういう文字を入れたほうがいいな、とかこれは絵を入れたほうがいいなとか、デザインだけじゃなくて蔵の外観とかも、実は先生関わってたりします。あと、日本酒・焼酎・リキュール以外にも建物とか、看板とかね、ゴミ箱とかね、全部綿貫先生仕様にして。
ただやっぱり、お酒って緑とか茶色の一升瓶に半紙が貼ってあって、「〜山」とか「〜川」とか、泉とか正宗とか、書いてあるのが日本酒。それはそれでやっぱり日本酒のイメージだと思うんですけれども。ワインとかって、ぱっとラベルとかみたら、どこどこのワイナリーだとかわかるみたいなんですよね。字体ひとつで。そういうのも、日本酒の世界にも取り入れたかったっていうのが、うちの親父の一番最初の発想です。そういう面では本当に良かったと思いますね。
先代であるお父さんの代から、既に革新的な姿勢を持っておられたんですね。
僕の親父もサービスづくりとか、日本酒とか古い伝統やデザインに斬新な、ソフトモダンみたいなデザインを入れるってところでは先駆的だったんです。ただ、いかんせんものづくりのところはわかんなかったんですよ親父は。そこがうちの親父の限界だったのかもしれません。それは見てて感じたんで、僕は(西山酒造場の蔵元として)6代目にしてはじめて、酒造りをやりました。普通なら蔵元って酒造りの現場にあんまり入んないんですよ。今は衛生環境もだいぶ良くなってきたんで、可能になったという面もあるんですが。
社長も酒蔵に入られるんですね、それははじめて聞きました。はじめて聞いたところでいうと、西山酒造場さんでは、女性の蔵人さんや外国のスタッフさんもおられますもんね。
酒蔵のイメージって、たぶん明るいよりは暗い。プラスよりはマイナス、というイメージだと思うんですけど。これは僕ずっと思ってて。たぶん昔のものづくりのままだったら、今、ウチに来てくれている様な優秀な若手は入ってきていないと思うんですよね。魅力も感じなかった。それは何がってやっぱり、暗いわけですよ。ものづくりとかサービスもなんですけど、やっぱり働いてる社員とかパートさんがわくわくしてないと、笑いが絶えないところじゃないと作ってるものもギスギスすると思っているんです。その面では社員がわくわくすると、僕もわくわくすると。そういう意味では昔と同じことばっかりやってちゃいかんと。
今うちは女性が7割近い酒蔵なんですよね。スタッフが50人近くいるんですけど、30人以上が女性なんですよ。昔だったらこれ考えられなかったですね。蔵人も今8人、まあ蔵人といってもうち色々と製造してるんで全員蔵人じゃないんですけど。僕らの想いとしては、女性の繊細な感覚をものづくりの中にいれたかったというのがあって。でもそういうのも一気にもっていくと、色々と言われるんで(笑)、徐々にやってきた姿が、今。でもこれが完成系じゃなくって。とはいえ、全員女性っていのうのもまたまずいと思うんですよ。男性は男性でいいところがいっぱいありますんで。でも、なんかやっぱりうちだけじゃなくて酒蔵のイメージって悪いっていうか、どっちかというとITとか商社とか外資とかそういうところに優秀な人が行きがちかなって感じるんだけども、そこにも負けない魅力の発信の仕方とか、絶対僕らは丹波にあるなと思ってます。
今も30年やらないと立派な酒造り人にはなれないんだって言ってる会社もあって、それはちょっと違うだろうと。逆に最初はみんな素人。それが男性か女性かの違い。日本人か外国人かの違いくらいの話で、外国人でもいいんですよね。そういう面ではうち発信でこういう酒蔵があるんだっていうのを伝えていきたいですね。そのなかで売り上げが伸びて、そこで社員が、パートさんがいきいき働いてる。その先にいろんな人が丹波に来てくれるという形がつくれたらなと。
やっぱり日本酒とか、酒蔵って差別する業界だと思うんですよね。入りたいと思ってる人いると思うんですよ。ウチは女性で酒造りしたいって方、全然OKです。そのために僕ら女子大生の酒造り体験したり研修でアフリカ人とか、イスラムの国の方が来たりね。
確かに、西山酒造場さんはどんどん革新を続けているイメージがあります。その上で会社も成長してる。これはわくわくしますね。では逆に、伝統的なものというか、丹波の地でしかできない、今の形でしかできない魅力もあるんでしょうか?
僕も18までここに住んで、その後東京、あとちょっとですけど大阪と出てまして。そしたらやっぱり、都会のほうが魅力的なところもあるとは思うんですけれども、ここに何かしらの魅力を感じたから僕も帰って来たと思うんですよね。明らかにいいと思うのは、水ですよね。絶対ここは、僕らも一番最初に何で有名になったかっていうと、水なんですよ。漫画「美味しんぼ」に取り上げていただいて、それが何故か酒じゃなく水の話だったんですよね。その時は酒じゃなくて、水くださいって電話が殺到したとか色々聞いてるんですけどね。
※美味しんぼ11巻18、19ページに掲載
ウチの仕込み水が美味いって話で出たんですよ。僕も酒蔵はいっぱい行くので、都会にあっても何かこの酒違うなと思うところは、どっかしらから水引いてたり自分ところの井戸水で酒造りされてますよね。やっぱ水道水ではダメと、いう感じですね。日本酒の8割は、やっぱり水なんで。
でも手作業のいい部分、手作りのいい部分っていうのは残しながら、それこそ麹も手づくりでやってるし、本当に機械入れるんだったらねタンクの中に機械入れてぐるぐるやったらいいんですが、そこはやっぱり人の手を使おうと。
ただ、酒造りは移動時間とか待機時間が、異様に長いんですよ。これが、僕は嫌やって。酒造りも麹が35度になったら仲仕事をする、40度になったら仕舞仕事するとかがあるんですけど。だだ麹だけつくる作業をやってるわけじゃないんで、米蒸したり、お酒しぼったり、タンクをかき混ぜたりっていう作業があって。それをやりながら手を止めて「ちょっと2階の部屋にある麹の温度見てくるわ」と行って、まだあと1度くらいやなって戻って、「もうそろそろかな」って見に行ったらまだ上がってへん、また戻って次行ったら温度上がりすぎ、とかね。例えばそれも、センサーを麹の中に入れといて、温度センサーを、35度になったらピピピと、全スタッフにわかるように。そうすると、無駄な移動がなくてすみますよね。その辺を効率良くして、変な移動をなくして、いろんな研究開発とか新しいものづくりとか、やり方とかを探っていきたいなと。
笑顔が絶えない会社に。スタッフさんへの想い。
現場に行ったり、社員さんと関わる事は多いんでしょうか?
僕はね、多いと思いますよ。それは仕事の一個だと思ってるんで。そういう面では蔵元というか、社長の仕事は何個かしかないと思っていて、大きく分けたら一個は働いているスタッフをモチベートするというか、わくわくさせることやと思うんです。とはいえ100%の人がいいわけじゃなく、黙っといてくれよ、静かに仕事やりたいって子もいるじゃないですか。特に今の若い人とかやったらいると思うんで。ただなんていうか、ベクトルを合わせるというのかな?やっぱりやり方は違っていいけど、目指すべき方向は一緒でいたいなと。僕が親父とぶつかるときがあっても嫌いになれないのは、若い時から親父も着地点は同じところを見てたのかなと。親父は若い時から。ただやっぱり不器用というか、誤解も受けるタイプですよね。今僕がやってることって、親父もたぶん同じことやりたかっただろうなっていうことを、僕流にやってるつもりなんですよね。
ただ、やっぱり仕事ですから、厳しい顔も見せます。怒る事とか怒鳴ることはあんまりないんですけど、叱ることはけっこうあるなと。それも考え方というか。ミスしたこと3回4回も同じミスしたらさすがに怒りますけど、ミス自体にはあんまり叱らへんと自分では思ってて。どっちかっというとミスした時の考え方というか、怪我しても人のせいにしてるとかね。失注しても、相手のせいにしたりね。そうだったらまた失注するわとかまた怪我するわとか、そういった時の考え方で、こいつは同じミスはせえへんなとかそういうのがわかれば何かいいかなと。思うんですよね。それを調子乗って2回3回とするのは、今うちの会社にはあんまりいないかなと。
やっぱり仕事がうまくいってないと暗い顔してるんですよね。最初からいきいきしてる人もいるけど、暗い人もいるわけ。暗い顔して売ってる人から、お客さん買いたいと思うかと、大阪とかでいい笑顔とサービスのショップとかあったら、笑顔の人から買いたいでしょうと。
なるほど、社員さんのモチベーションというか、やりがいをとても意識されてるんですね。ちなみに社長にとって、こんな人と働きたいって思うって人はいるんでしょうか?
人柄ですよ。絶対人柄です。やっぱり、暗いよりは明るい。マイナス思考よりプラス思考。ネガティブよりポジティブ、僕、ぐっと社員のプライベートまで踏み込んだりするんですよね。うちは他よりプライベートに踏み込む度合いは高い蔵だと思う。聞かなかったら僕もむずむずするし、あ、セクハラとかはそういうのはないと思うんですけれども(笑)やっぱり何で悩んでるのかなとか、考えちゃうんですよね。僕で何か力になれることがあるんじゃないかなと思うし、実際のところは、家族と過ごすよりも会社のメンバーの方が長い間付き合ってますよね。そういった時に大家族主義じゃないんですが、組織が大きくなっても、みんなが働きたいなという組織を着実に作っていきたいなって思います。
僕みたいな考え方、だめって人はだめだと思うんですけども、むしろ僕みたいな考え方を喜んでくれる人も居るんじゃないかと。そういう面では、前向きで自ら燃え上がれる人。例えば今やりたいことが酒造りやものづくりじゃなくても、なんとなく丹波移住したいんやけど、どっか入りたいんやけど、って人であっても、うちの会社はいろいろやってるので、結びつける力はあると思います。今まで農業はやってなかったんですけど、農業どうしてもやりたいっていう大学院バリバリ出の女性が来てくれて。そこから酒米も作らなきゃいけないよね、他の農作物もやりたいよね、ってところからどんどん広がってきてたり。
伝統的な酒蔵でありながら、革新を続ける西山酒造場さん、高校を卒業してすぐに自分から門を叩き、現在杜氏見習いとして酒造りや、販売にも携わる本間さんにもお話を聞いてきました。
西山酒造さんに、働きに来たきっかけはあったんでしょうか?
僕は高校二年生のときに酒造りがしたくて、もともと微生物が好きで、発酵が好きで、その発酵に関わる仕事がしたくて、何をしようかなと考えていた時に、そうだ、酒造りをしようと。そうや、日本酒やなって思ったんです。というのも、僕の中で日本酒のイメージがすごく良くて。なんで良かったのかなって思うと、うちの母親が上手に日本酒を嗜む人で。僕の中でぼんやり日本酒っていいものなんだなっていうのがあったんですよね。でも、そのとき周りにいる友達は当然飲めないですし、飲まないですし、日本酒なんてオヤジの飲み物やろ、みたいなイメージを持たれてて。なんやねんそれってなってたんですよね。それってなんかおかしいなって、これって日本酒のいい魅力が伝わってないんじゃないかなって思ったんです。そんなこともあって発酵にまつわる仕事の中で、日本酒づくりがやりたいなって思ったんですよね。でも酒蔵の就職先とか全然なかったんですよ。
ちょうどその時って地酒の一番低迷期で。ちょうど10年前くらいですね。焼酎ブームがきてる時期だったので、業界自体が元気なかったんですよ。そんな中でただ高校出ただけの、どこの馬の骨ともわからへんやつはとられへん、みたいな感じだったんです。僕も半ば諦めて、一回普通の企業に就職しようと思ったんです。それを母親に報告した時に、どうやらその報告した時の僕の目が死んでたと(笑)。それで「このままこいつを働かせてはいけない」ってうちの親は思ってくれたらしくてですね、「うちの実家の近くに酒蔵あるから、一回電話したるからちょっと待っとき」って言ってくれて。電話してくれたのが西山酒造場だったんです。その電話が社長にまで届いてね。
—-西山社長—-
やっぱり覚えてます今でも鮮明に。私丹波出身なんです、って言ってね。たまたま僕がとったんですよね。「ダメだったらいいですから、面接だけしてやって欲しいんです」と、その時はどうスタッフを意識改革するかというのを考えてて、意識改革できない人間はさようならみたいなそんな時代やったんで、いいですよって言ったらすぐ来られましたね。でも内定は他もとってたんですよ。半分以上はお母ちゃんがしゃべってたんですけど、高校三年生の中ではちゃんとハキハキしゃべってるし、いきなり社長面接でしたね。
入社当初は蔵人として酒造りをされてたんですね?
そうですね、酒造りは丸5年間。その後1年ネットショップをやって、2年間営業職というか、外に出る仕事を。その二年前の時に社長から「杜氏見習い」という肩書きを頂いて、酒造りの修行の一環として外に出てきなさい、と言って頂いて。どういう方が日本酒の販売に関わっていて、お客さんがどのように日本酒を飲まれているのか、自分の目で見て肌で感じてきなさいと言ってくださって。で、それは本当に良かったなと感じています。僕も酒造りを5年間やっていて、すごく楽しかったしやりがいを感じてたんですけど、今思えば飲む人の顔が思い浮かんでなかったという感覚があります。誰のためにものづくりをしてるのか、酒造りをしてるのかっていうのがイメージが沸いてなかったなと思うんです。やっぱりこうやって外に出させて頂いて、直接お客さんと接する中で、あ、この人たちのために自分はモノづくりをしてたんだな、この人たちに飲んでもらいたいなと凄く感じるようになって。やっぱり外に出てはじめて気づけることがたくさんあって、それは本当に社長に感謝しているところです。
—西山社長—
なんで「杜氏見習い」かというと、彼の場合いい酒造りのところにあると思っているんですが、ただやっぱりまだ彼は若い。逆に今の杜氏とかは羨ましがってるんですよね。杜氏は45歳で営業とかもできるタイプなんですけど、今酒造りを抜けるわけにはいかないんで。ウチは最初にみんな一度蔵に入ってもらうんですよ、合ってない人もいますけどね(笑)ただ、お坊さんと一緒で我慢しなさいって。蔵人で入ってきたのに経理部長もいる。営業も蔵人出身。工場長も蔵人。
仕事をすきになる、これ重要だと思いますよね。嫌いだと上手くいかないと思う。
なるほど、本当に杜氏になるために色々と幅広く勉強されてるんですね。ちなみにこれから、やりたい事はありますか?
ゆくゆくは、ものづくりの現場に帰りたいというのはありますね。あと、いずれはやりたいという事もあります。日本酒もまだまだ可能性はあるかなと思ってるので、小鼓はもちろんなんですが、第二ブランドとして別の切り口で新しい日本酒の魅力を提案できたらな、なんて思っています。今は自分の中でイメージを膨らませていってる段階ですけども。営業をまわっていても、僕にしかできない仕事にしていかないといけないと思っています。それがいずれ蔵に戻った時に活きると思っています。こうして営業の最前線に出てるからこそ学べたということを活かせると思うし、これがある意味マーケティングだと思うので。市場の意見を聞いて、ものづくりに活かせるようにと考えています。
酒蔵という伝統的な産業の中にあって、新しい取り組みや表現を用いて革新を続ける西山酒造場さん。こうして、本間さんの様な自ら考え、行動をおこしていく様な人が集まるのも、社長のあり方に影響されての事かもしれません。仕事として見せる厳しい表情の中に、丹波らしい人としての優しさが見えたインタビューでした。女性でも酒造りの現場に歓迎という珍しいスタイルは、中々他の田舎では叶えられない求人かもしれません。