
日本海と瀬戸内海に流れる川の最上流に位置する「中央分水嶺」が通る丹波市。古くから最上流の美味しい水が流れる土地として、造り酒屋が営まれてきた地でもあります。江戸時代から続く歴史を持つ「山名酒造」さんは、伝統的な製法の良さを残し・四季の自然と共に昔ながらの酒造りをされています。
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・自然の動きに合わせて、この地でできた米を大事に毎年酒を造りたい。
・「人」に恵まれる。社長に聞いた、従業員さんへの感謝と一丸となって造る日本酒。
・丹波でしかできない酒造りを、米造りを。蔵人を募集。
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山名酒造の創業は、1716年(享保元年)一部時代に合わせて変化した部分もありますが、その当時から今も変わらず、人の手による手作りの酒屋として、丹波の地で一年・一年大事にお酒を創っておられます。販売店の入り口の暖簾は、酵母の色をイメージして、自然の素材で染色された暖簾です。
米から創る、造り酒屋。丹波だからできることを。
社長である、山名純吾さんに、直接お話を聞いてきました。
都市部や、大きな酒蔵ではできなくて、丹波の山名酒造さんだからできること。って何かありますか?
それは土地から全部、米作りから、酒造りから、完結できること。米も水も、人もこの狭い丹波の地域から集まってきて、一年を通じて春夏秋冬とお米を作って、最後冬に酒を造ると。これが(丹波の地で)完結するのが僕らのやってる仕事の楽しいこと、おもしろい事だと思いますよね。
米も旨くて水も旨い丹波だから全部が完結できるんでしょうか?
やっぱそう、水ですよね。水が、米を育てて、水がお酒を醸すんですよね。実はみなさんご存知無いと思うんですけど、仕込みの配合からいくと、お米1に対して、水を1、5使うんです。お米1000kgに対して1500リッター使うんです。で、その水は田んぼにも流れていて、僕ら毎日飲みますよね。人間の体ってほとんど水らしいですよ。だから、水がすごく重要だと思う。この土地で水を飲んで、その水に馴染んで、その土地の水に馴染んだ体が欲するのは、その土地の米であり、その土地の酒なんです。だから、水が合わなかったとか良く言うじゃないですか。海外に行って水が合わなかったとか、それの反対だと思います。だからこの土地に住んでいる人たちが喜ぶ酒を作れるという、喜びがありますね。
生産量は、今より多くと量を増やすだけの方向では考えていないと語る山名さん。丹波の地で長く持続可能な酒造りをしていきたい。この土地でできたお米を、毎年大事に酒造りをしていきたい。自然の動きに合わせて、昔ながらの製法を守っていきたいとお話くださいました。現在山名酒造のメインラベルである「奥丹波」は地元で約60%が消費され、残りの40%は自然食関係等の都市部のお店で提供されているそうです。
自然を大事に、ものを大事に。都市部に出て感じた価値観と今の酒造り。
ここで生まれ育ったんですけど、ここにいたのは小学校までなんですよ。田舎が嫌で嫌で。もうなんとも言えず、飲酒にまみれたというか。中学校になるときにね。親戚が大阪の豊中にいたんで、あっちの方にでて、そこから高校まで、下宿しながら通ったんですね。そうなるとね、人間裏腹なんで都会生活を始めると逆に、田舎がよく見えてくるんですよ。あんだけ自然がいっぱいだったのに、アスファルトの息苦しい街並みに気圧されてしまって。
酒造りに最も大切な「水」においても、豊かな自然が残る丹波だからできる事があります。
逆に大学生になると、田舎を理想郷にしてしまって。あんな丹波の素晴らしいところはないって。で、それからも紆余曲折あって一般社会にも出たりしたんですけど、20歳のときに、丹波に戻ってきたんですよ。で、そのときは自分の中では田舎はユートピアになってて、でも帰ってきて暮らし出すと、またアラが見えてきてね、何なんだこれはと。高度経済成長を経て、今田舎はこういう形になってるんだけど、僕が小学校のときに育ってきた自然と、何十年か経ってから帰ってきてみた自然の形が様がわりしてて、それに対してショックをうけたというか。自分がユートピアのようにおもっていた田舎が、自然がそうじゃないと思うことに戸惑いを感じましたね。
その時に、もう一回出て行こうと思わなかったんですか?
そのときに救いだったのは、ウチの酒造りが江戸時代と何も変わってなかったんですよ。やってることが。逆に、そこだけが変わってなかったんで「これか」と。これを自分の仕事としてやっていけるのが理想なんじゃないかと、そういう風に考え出したというか。幼い頃から杜氏さんとか一緒に寝起きして、ファミリー的な感じで生活してきたんだけど、それが変わってなかったんです。そういう人とのアットホームというか、ひとつの酒というものを作ることに、みんなが一冬協力して、蔵一丸となってものを作っていくということは楽しいことですよね。
今も、同じですよね。またそのこの町でとれる酒米を原料にしてるんで、そういう意味でも四季と一緒に育ったものを生産していくという喜びもあるから。やっぱり一度外にでるというのは、非常に重要だと思う。Iターンの人とかはそれがわかってるんですよね。よく、外から丹波に移住してきた人はそういう視点で、丹波は素晴らしいと言ってくれるんですが、他のところにはない良さも見つけてくれるし、逆に、もっとこういうふうにしたほうがいいんじゃないの、と言ってくれることもあるし、そういう意見を何よりも参考にして、生かしていくことがすごく重要だと思いますね。
大学を卒業後、大阪の酒の問屋で働いた山名さん。大学には7年間在籍していたそうで、当時は就職活動も上手く行かなかったそうです。偶然の出会いから問屋を営む会社の社長と出会い、貴重な経験を積む事になります。
7年も大学にいる人だれも雇ってくれないんですよ。で、自暴自棄になって大阪の下町を歩いてたんですよ。そしたら、ビールを積んであるところがあって、僕も実家が造り酒屋だし、お酒に関する仕事だったら将来につながるかなとおもって、事務所に飛び込んだら、ちょうど社長がいてはって、社長が急遽面接してくれたんですよ、そしたらお前おもろいなと、明後日からこいと、で、就職活動1日で、4月1日から出社したんですよ、他の新入社員の方はみんな就職活動してね、僕だけそんないい加減なことなのにご好意頂いて、雇っていただいて、社長には今も頭が上がらないんですけどね。
それはいわゆる問屋ですね。お酒の。その世界も激変してまして、当時お酒の問屋さんというのはビール会社の系列ごとにあって、僕が入ったのはアサヒビール系の問屋で、ビールと・日本酒と・焼酎と・ワインとそれを営業する販売職をやったんですけど。まあでもそういうところで仕事をすると、とにかく量を売らないといけないんで。値引き合戦だとかが行われるんですね、お酒なんて一升瓶をお酒屋さんに10本売りますよね、そしたらそれに対して4本タダでつくとかね、そういう世界だったです。だから、中身が問題にされなくて、いくら安くするか。そういった事を目の当たりにして。僕が帰ってきてここでやってきた酒造りは、そういう事をやると絶対やっていけない。そこで色々と考えましたけどね。それは逆の意味で、役に立ちました。
「人」に恵まれる。山名社長が考える、酒蔵一丸となった酒造り。
山名社長の中で、こういう人と働きたい、という人はおられますか?
従業員さんには、本当に僕はおんぶにだっこで、本当にもう、人に恵まれるんですよ。いい人ばっかりが寄ってきてくれるんですよ。それに甘えてるというか、だからその人それぞれに素晴らしいところがあるので、それをうまいこと伝えてくれたら、それが十分仕事になる。無理やり型にはめるっていうのは、うちではしないですね。女性もね、お子さんが小さくってどうしても不足の事態があるんですよ。そういうのも対応しますし、そういう意味では、家庭が第一かなと思ってまして。まず家庭がうまくまわるようになって、その次仕事、特に女性はね。そう思って就業条件はあまり厳しくしてないです。
あまりこだわらず、想いを持ってきてくれる人なら、という感じですか?
そうやね、僕はね、来るもの拒まず、去る者追わずやから。まあだいたいうちの門を叩いてくれる人は、最初から意識が高いし。
従業員さん同士で、仲はいいんですか?
うちはもう、それベストだと思いますよ。一番それが。建物もクラシックじゃないし、そういう意味では昔からの300年続いている割には重みとか、そういうのはないんですけど、従業員の結束力というか、勤めてくれている人の素晴らしいところは、本当に誇りに思ってますね。「最近は私いない方が楽しいかなと思ってるくらい(笑)」
今の会社の事業として、こういう人材が来てくれたら、会社として伸ばしていけるものがあるとか、今ここが足りてないとか、ありますか?
やっぱり、つくる方ですよね。酒造りが、すごく年数もかかりますし一人前になるのに。やっぱりセンスなんで、ものづくりはセンスなんです。やっぱりそういう人材です。なかなか親方、杜氏になるというのは大変なことで。それをやりたい、という意欲のある人がきてくれたら。意欲だけでもだめなんやけど。やっぱりピュアな、心が純粋な人が作るには向いてますね。ちょっと変人でもいいんです。だいぶ変人でもいいんです。ものづくりをすることに喜びを感じる人が来て欲しいですね。
3年前から来てくれた人で、最初は彼も腰掛けのつもりだったと思うんですが、今は田んぼまでやってます。目標は、今年自分がつくった米で、酒造りをすると公言しているので、非常に期待しております。彼は色々とやってきてるからね、センスはあると思うんですよ。音楽も好きだし。酒造りってのは単に作業をすればいいってわけでなくて、音楽を聴いたり、お芝居をみたり、いろんなものを蓄えて、酒造りに活かしていくという部分もあるんで。センスが磨かれないと、トップには登れないですよね。そういうことが楽しいと思って、少々苦しくてもやれる人がいればいいなと思いますよね。
山名酒造さんでは、様々なアーティストさんとコラボして、自社の酒造りを伝える冊子を作ったりもされています。「センスが磨かれないとトップに登れない」という山名社長の想いが詰まっているように感じます。
丹波へ移住し、山名酒造さんへ働きに来てから約15年。蔵人の田中さんにもお話を聞いてきました。田中さんは大阪でメーカーから出向して家電量販店で接客スタッフをしておられました。元々お父さんのご実家が丹波にあり、そこに移住して来られた「孫ターン」になります。
元々酒造りがしたいと思ってらっしゃったんですか?それとも山名酒造で働きたいと思って来られたんですか?
その時は、縁ですね。ハローワークの求人でたまたま見つけまして、たまたまその日お休みだったんです。2〜3週間ずっと休みなしに働いている中で、たまたま休みの日にいくと、その求人がありまして、その日に面接に行きまして。
田中さんは、すぐにここで働きたいと思ったんですか?
その時は、正直すごく迷いました。やはり今までの生活とまるで違うところですし。自分の、肉体的な事、それから経済的なこと、能力的なところ、不安はすごくありました。
実際来てみたらどうでした?
はじめに聞かされていたよりも、ちょっと失礼な感じにもなるんですけども、楽だな、というか今までの仕事より楽だなと。お酒相手の仕事というか、お客さん相手の方が緊張するなと、要望もありますし、当時は外国から来られてる方の、商品に対するクレームなんかも多くて。その対応がすごく精神的にしんどかったのもあります。それを思うと、こちらの仕事では自分としては初心者ですから、その、杜氏さんであったり、当時いた社員の方の支持したがって動くだけ、というのが最終的には楽でした、あとはあの気をつけなければいけないことというのもわかってくると、少しづつこう面白くなってきましたね。
お店だと、割とよいしょしたりとかそういったことがすごく多いんですけれども、まるくおさめるために、いろんなアプローチのしかたがありますけども、接客という方面よりも、真剣にものを作って、それに対して、その時すぐではないですけれども、わりとその、返してくれる。必ず返ってくると。
生活も変わったと思いますが、戸惑いはありましたか?
そこはあんまり感じなかったですね、元々父親の実家に戻ってきたんで、良く戻ってきてくれたと、ご近所さんもすごく協力的で。生まれたのは篠山で、父の仕事の関係で奈良・大阪・滋賀県とわたってました。当時は空き家になっていました。誰かが帰って世話をしないと、もう荒れるだけの状態になってました。
ご近所づきあいはありました?
思ったよりも、都会的な近所づきあいというのはほとんど無くて、家を直すためにどうするとか、野菜やできたもののやりとりとか、そういうところが多かったですね。
今の仕事でここが楽しいっていうことはありますか?
今会社の方は人がだんだん増えてきまして、お酒造りであったり、日本酒自体を知らない方が仕事をしたいと、そういう仕事をしたいと入ってこられるようになりまして、そういう方に教えていく、日本酒の素晴らしさであったり日本酒造りの素晴らしさ・厳しさを伝えていくような部分が今は楽しいというか。大阪の仕事の時は、どちらかというとクレームから始まることのほうが多かったんで。10数年やってきましたけど、はじめのうちは自分のことで精一杯なんですよ、でも10年過ぎてきますと、ある程度仕事のこともわかってくるようになりましたし、もちろん勉強もしてきましたので、教えて頂いたことを次に伝えていくという、今は徐々にそちらのほうにシフトしていってます。
蔵人という全く新しい仕事の世界に入って、新しく経験を積み上げた10数年。そうして、自分が勉強してきた酒造りを従業員の皆さんにも伝えていく。全く違ったキャリアに転職した田中さんですが、前職の経験が活きているとお話くださいました。
今後の山名酒造が目指すこと、山名社長の目指すこと。
春から息子が戻ってきて、次橋渡しする年齢になってきて。人生今長いじゃないですか?昔は人生50年だったけど、これからは50からもまたリスタートだと、いう感じがしてるんですよね。まあ酒造りはさることながら、何か違うステップ、個人的にはですよ、ギアチェンジしたいなと。B&Bとか、やっていきたいなと、(酒蔵の倉庫を改修して)ロック製作所とか一時期やったんですけど、それは飲食ですよね。これからやっていきたいのは、アートとライフ。生活と芸術を融合させたこと、ま、お酒も交えながら。なんかしたいなあと。酒飲んで、酔っ払っておしまいじゃなくて、酒飲んで、映画をみて、また音楽を聴いて、こんな素晴らしい人生だ、みたいな。そんなことをやりたいなと。遊びまくるぞと。
イギリス行った時にB&Bで色々とまわったんですよ。B&Bだから、朝食とベッド用意すればいいだけじゃないですか。例えばこの丹波地域でも、篠山市内もいき、丹波のこっちのほうにも行き、車が発達してるからね。そういう楽しみを国内も国外も限らずやっていけるような気がしてて。それはみんなと手をつないで、(丹波には)いろんなことをやってる人がいるからね、コラボしたりして。
伝統的な酒蔵として、大切なことを守りながら、伝えながら、新しい事を考えておられる山名さん。蔵人以外の求人も募集しているとの事。ただ、事務や瓶詰め等の作業をされているスタッフさんも、酒造りが一番忙しい時期は、一丸となって酒造りに取り組むそうです。働いている社員さんは、都市部から来た人と地元の人が半々。これからも新しい風を入れて、持続可能な形で酒蔵を続けていくことを信条とされているようです。一緒に作っていく仲間とチームで頑張りたい、そんな事にわくわくした経験がある、という人にはぴったりな求人ではないかなと感じさせられました。
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