
求人情報だけでは分からない、働く人たちに迫ったインタビュー企画の第四弾は1716年に創業した老舗企業の「奥丹波」醸造元 山名酒造で働く中川清二さん。夏は農家と花火師、冬は酒造りという旧くて新しい働き方(※)をしながらも「流れに身を任せて生きていたらこうなった」と笑う中川さんにお話を伺ってきました。
(※昔の丹波杜氏の職人の多くが夏に農業、冬に酒造りをする季節雇用でしたが、今は少なくなっています)
中川さんのご出身は愛知県名古屋市。震災をきっかけにしてインドやネパールを回りながら1年ほど暮らし、帰国後にその時に出会われた方との縁がきっかけで丹波市へ移住されました。
山名酒造で酒造りを始められたきっかけは?
丹波市に移住してきて草刈りの代行や野菜の配達のバイトとかをしてたんですけど、その時の縁で山名酒造の社長にお会いして、「酒造りしてみぃひんか」と誘ってもらって2014年から酒造りにはいりました。冬の間だけなので、毎年10月から3月末ごろまで働かせてもらってます。
山名酒造ではどんなことをしていますか?
毎年新しいことを少しずつ任せてもらっていますけど、蒸した米を掘り出したりとか醪の温度測ったり、泊りの仕事も週に1,2回あるので、その時は麹もやったりします。今年からは出来上がった酒を搾る槽(フネ)の担当の「船頭」も任してもらってます。
船頭とはどんな仕事ですか?
船頭は搾りの担当で、酒を搾るために出来上がった酒の醪を槽という機械に入れていく作業なんですけど、槽に乗る時は、バランスをとっていかないとうまく搾れないので、それが難しいです。入れすぎても少なすぎでもダメだし、傾かないようにうまく調整していかないといけないので、そのあたりをコントロールしていくのが難しいです。今年1年やって、やっと感覚を掴んできました。上手にできた時は、嬉しいし、達成感がありますね。
酒造りを始めた時はどんな印象でしたか?
1年目の時は週に2~3回だけ働いていたんですけど、右も左を分からない状態で、分からないまま何とか頑張ってやっていました。それでも続けていけば少しずつ分かってきて、分かれば任されるようになってくるので、毎年新しいことをやらせてもらえてるのは楽しいですね。
実際に酒造りをやってみて大変なことや楽しいことはありますか?
正直、キツイことの方が多いっすね。(笑) 朝も5時とか5時半なんで寝るのが好きな僕としては辛いです。(笑) 酒造りは重いもの運んだりしますし、洗いものも多いので手も荒れてくるし…(笑)
それでもできたお酒を飲んで美味しかったよと友人たちから連絡があったりすると嬉しいですね。
そんなに大変な酒造りが続けられるのはなんでなんでしょう?
なんででしょうね。(笑) 夏に自分で酒米をつくってるんですけど、冬にそれを山名酒造にいれてもらって、酒にしてます。その酒が出来た時の嬉しさを知ってしまったからですかね。酒造りをしていくことは誇りに感じる仕事ですし、関わっていきたいなと思ってます。
酒米を自分でつくって自分で酒にするというのは素敵ですね
それでも、プレッシャーも感じますけどね。(笑) 食用の米は自分の食べる分くらいしかつくってませんが、飲む方の酒米は自分の分だけじゃないので、良い米をつくらないと、と思います。その分やりがいを感じるし、気持ちも入りますね。
中川さんが酒造りの中で心掛けていることはなんでしょう?
酒造りは、おやっさん(※杜氏のこと・酒造りの責任者)についていく、おやっさんの想いを形にしていくようにと思って作業しています。酒造りは一人で出来なくて、チームでつくるので自分の気持ちが、というより、おやっさんとベクトルを合わせていくような気持ちですね。気持ちは酒にも籠っていくと思うので。
杜氏さんとの酒造りについての会話で印象に残っていることはありますか?
おやっさんが何回か話してくれた「悲しい日にも飲める酒」という話はすごい心に残ってますね。それを聞いてこっそり泣いたこともありました。(笑) 辛い時にも寄り添えるような、癒されるようなお酒という意味なんですけど、楽しい、明るい時のお酒はたくさんあるじゃないですか。悲しい日とか落ち込む時に飲めるお酒もやっぱり必要やと思って、すごい大事やなと思いました。それを聞いたのが4年目くらいの時で、そこから自分の中でも酒造りに対する意識が変わっていったかもしれません。
これから酒造りでやりたいことなどはありますか?
自分のお酒をつくってみたいなぁ、っていう思いはありますけど、杜氏になりたいとかは無いですね。(笑) 今のおやっさんを見てて、人生を酒造りに捧げるくらいのすごい想いと迫力があって、自分はあんな風にはなれないなと思います。(笑) でも、農業も酒造りも携わりたいとは思っています。耕作放棄地が丹波でも増えているので、米作りと酒造りをバランスとりながらうまくやっていきたいなと。自分は流れに身を任せて生きてきて、周りの人に恵まれて、そのお蔭で今があるので、このまま流れに身を任せて生きていこうと思っています。
「キツイっすね」と言いながらも人懐っこそうに笑いながら話す中川さんはとても朗らかな様子でした。人生の流れに身を任せて縁あって行きついた丹波市で、今度は酒の搾り役の船頭として、バランスをとって槽を乗りこなそうとするお姿は、農業と花火師と酒造りという複数の働き方を持つ中川さんならではの人生のバランス感覚を感じました。中川さんの働き方は、旧くて新しい一つの生き方を示してくれているのかもしれません。